いさ走る(主張・メディア掲載)

2014.11.01 月刊誌 第三文明に掲載「日中関係改善の糸口を語る」

1972年の日中国交正常化から今年で42年。日本と中国の間は、依然として憂慮すべき状態が続いている。両国の友好のための糸口とは何か――。甲南大学教授の胡金定氏と、衆議院議員の伊佐進一氏が語り合った。

 

自ら現地へ行き民間同士の対話を

伊佐進一 私が中国に興味を持ったきっかけは、子どもの頃に読んだ小説『三国志』です。中国の雄大な歴史や文化に触れ、いつか中国に行きたいと思うようになりました。外交官として中国で仕事をする中で日中関係に携わるたくさんの人にお会いしましたが、日本の漫画に興味があったり、柔道をやっていた経験があったりなど、いわゆるソフトパワーを入り口にして、今の仕事に就いている人が多いように感じました。

胡金定 私もそうです。高校の授業で、日本に池田大作創価学会インタナショナル(SGI)会長という人物がいることを知りました。池田会長の平和・教育に関する思想や、日中国交正常化の重要性を主張した「六八提言(一九六八年九月の日中国交正常化提言)」などを学ぶ中で、それまで持っていた日本のイメージが大きく変わり、日本をもっと知りたいと思うようになりました。国立厦門大学で日本語を学び、三年生の時には日本語の出版物を中国語に翻訳しました。国交回復後、高性能な日本の電化製品が多く輸入されているのを見て、日本を優秀な国だと感じたことも、興味を持つきっかけになったと思います。日本で暮らすようになり、今年で二九年が経ちます。

伊佐 日中の国民感情の調査によると、両国とも約九割の人が相手国に良くない印象を持っています。しかし、日本の製品については、評価している人が多いようです。また、日本観光に来た人も、「とてもいい国だった」と言って帰っていくそうです。電化製品や日本の漫画、観光などのソフトパワーは両者の関係を修復していく手がかりの一つでしょう。

 最近では、中国から日本への観光客も徐々に増えています。しかし、日本から中国への観光客は依然低いままです。日本の書店には、反中や嫌中などの本を集めた専用コーナーがありますが、中国にはこういったものはありません。

伊佐 本には影響力があります。テレビ・新聞などのマスメディアもそうです。中国の悪い部分ばかりを報道していることが多く、そんな情報ばかりを聞いていると、中国を好きになることは難しいでしょう。日本が国のかたちを成して以来、長らく経験してきた「鎖国」とも関係しているのかもしれません。日本の歴史の中で、国民一人ひとりが日常生活の中で他の民族と接し、理解し合うという経験は、決して多いとは言えません。 たとえば満州事変の折、他国から批判を受けた日本は国際連盟を脱退し、国際社会から孤立しました。このように、何か課題があった場合に、解決のために歩み寄ろうと努力するのではなく、他国の考えを拒絶し、断絶の道を選んでしまうことがあります。今後の中国との関係においても、そのような「鎖国意識」が芽生えることを危惧しています。

 それに、日本人の中には、中国を怖いと思っている人もまだ多いようです。私の知り合いの新潟の高校生も、中国に対して怖いイメージを持っていました。しかしある時、中国に駐在している父親に誘われて、上海から杭州、南京などを回り、現地の人たちと交流をした。日本に帰ってきた彼は、「中国は全然怖い国ではなく、とても楽しかった」と私に手紙をくれました。自分の目で確かめることは非常に重要です。観光などで現地を訪れることは、相手国の人のことを身近に感じるいい機会です。

伊佐 そうですね。私が中国に住んで感じたのは、国民性の違いです。たとえば、中国人の友人は「今から遊びに行こう」とアポイントもなしに誘いに来ることが多く、少し困ってしまいました。しかし、一緒に生活をしていく中で、それが彼らにとっては普通のことで、一つの友情の表現であると知りました。それに、一度友人になると本当に親切で、相手のために尽くそうとするところは、中国人の素晴らしい美徳です。同じように、日本人にも他国の人からは理解できない表現や行動、考え方を持っているかもしれません。時間や場所を共有しながら、相手との違いを理解していくことが重要なプロセスだと思います。

 たしかに、そういった違いは交流を重ねていくことで解決できるでしょう。個人と個人の対話、つまり「民間交流」が両国友好の鍵です。中国と日本は、民間での交流を両国の発展に役立ててきました。古くは、遣隋使や遣唐使といった交流もありました。また、両国間の正式な国交がない中、日本の高碕達之助(元通商産業大臣)と中国の廖承志(元中日友好協会会長)は半官半民の貿易協定であるLT貿易(両者のイニシャルからとった)を結びました。

伊佐 日中国交正常化までの歴史を見ても、民間が果たしてきた役割というのは非常に大きいですね。私も現地に行くことの必要性を感じ、国会議員になったこの一年半で、四回訪中しました。

 現地にそんなに足を運ばれているとは……。重要な役割を果たされていますね。外交官として中国で生活をした経験をもとに書かれた本を拝読しましたが、公平公正な立場から見た中国の姿が書かれていて、感銘を受けました。

伊佐 ありがとうございます。中国を訪れるたびに政府の幹部や企業のトップなどから、「池田名誉会長によろしく」と言われます。中国の「飲水思源」(水を飲む時、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない)という言葉通り、池田会長が日中関係をつくった重要な人物=井戸を掘った人であるとして、大切に考えておられるようです。

 

青年の交流と政治の役割

伊佐 特に大事なのが青年の交流です。池田会長も周恩来首相も、青年を非常に大切にされました。池田会長は「若い諸君には過去の戦争への責任はないが、未来への責任はある。平和を壊すような危険な動きを認めてしまえば、その責任は青年にある」とおっしゃっているのです。 政治の話になりますが、私が事務局長として進めている日中の「次世代の国会議員の交流をする会」というものがあります。公明党だけではなく、自民党、民主党、維新の党などにも声をかけ、党派を超えて、若手国会議員で毎年訪中しています。日中間にさまざまな課題があったとしても、中期・長期的な視点に立って、青年世代である私たちが交流を深め、関係を広げ、友人となっていくことが重要だと考えています。

 たしかに、私が日本との接点を持つきっかけになったのも高校時代でした。青年世代の交流は、非常に重要ですね。それも単なる観光だけではなく一晩でもいいからホームステイをして、中国の家庭がどのように生活しているかを知ってほしいですね。

伊佐 私たちが主張していることが二点あります。一つは、日中関係はもはや単なる二国間関係だけに収まる問題ではないということです。GDP(国内総生産)では、中国が二位、日本が三位であり、もし日本と中国が喧嘩すれば、世界経済にも、計り知れない影響を与えることになります。 両国関係がアジアのみならず、全世界へどのくらい影響力があるのか、考える必要があると思います。二点目は、両国とも〝引っ越し〟できない隣国である以上、選択肢は一つしかないということです。つまりそれは「友好」と「互恵」です。これらを目指して、双方努力することが必須です。

 日本には、戦後、蓄積してきた技術や流通におけるノウハウが豊富にあります。日本と成長盛んな中国が手を組めば、世界経済をリードし、国際経済に貢献していけることは間違いないと思います。互いに気持ち良く付き合っていく方法を考えなければなりません。

伊佐 中国には、対外協調派もいれば対外強硬派もいます。政治の面では、中国の対外協調派が勢いづくような国交を展開していくことが必要です。日本の政治が右傾化するようなことになれば、中国の対外強硬派を後押しすることになります。結果、緊張感は高まっていくでしょう。 また、歴史認識の違いが問題となっています。日本の中には、もう謝ったじゃないかという考えもあります。しかし、どんなに時が経っても過ちを忘れてはいけません。そのうえで、未来の両国の発展を目指して一緒に歩んでいくことこそ、本当のあるべき姿ではないでしょうか。

 その通りです。そもそも、歴史の専門家ではない政治家が話をしていても決着しません。歴史の問題に関しては、その分野の専門家が研究し、そこで結論を出していくしかありません。専門家によって研究を進める中で衝突もあるかもしれませんが、それでも構わない。研究結果から結論を導いたうえで、政治判断をしていく必要があります。領土の問題に関しても、すぐに解決できることではありません。ある程度は、後世に任せていくのが賢明です。

伊佐 両国の関係が、島の問題だけで大きく崩れることがあってはなりません。今、一番大事なことは、課題を解決しようという、双方のねばり強い対話であることは言うまでもありません。そして同時に、意図しない偶発的な衝突を避けるための制度づくりも急がねばなりません。たとえば、何か問題が発生した時、その現場の当事者間ですぐに連絡を取り合えるホットラインをつくることが重要です。これは、かねて公明党としても主張しています。

 

専門分野の交流で日中関係を深める

 グローバル化が進み、経済においても互いに依存し合ったり分業化したりしなければ、やっていけない時代になっています。中国から日本への留学生も増え、日本人の意識も変わりつつあります。中国は華僑という歴史があります。それが手本になって、自分も海外に行って成功したいと考える人が多くいます。海外でたくさんの人脈をつくって帰国し、ビジネスに役立てている例も多くあります。

伊佐 私が中国の大使館で勤務していた時、科学技術政策や、いわゆる〝モノづくり〟について研究し、どうしたら中国と日本がウィンウィンの関係をつくっていけるかを追究しました。今やメイド・イン・チャイナは世界に広く受け入れられています。たとえば通信機器などは、中国企業のものが世界に広まっています。 今、宇宙空間に人間を運べるロケットを持っているのは、アメリカとロシア、そして中国だけです。最先端から汎用機器に至るまで、中国の技術が活躍しています。

 中国の科学技術の素晴らしさは日本の多くの人に知ってもらいたいことの一つです。中国の企業には、世界各国から研究者が集まっています。こんなに多くの国の人が集まっているのは、他ではなかなかありません。世界に対して、とてもオープンなのです。このような中国産業の中身を知ることで、ひいては中国全体への理解を深めることができるでしょう。

伊佐 科学技術をはじめ、文化や芸術などいろいろな切り口があるはずです。その場に行って、交流して、自分の目で見て耳で聞いて肌で感じていかないと、中国の本当の姿を見ることはできません。私がぜひ日本の青年に伝えたいのは、多くの青年が外に出て、肌で感じてほしいということです。ここが大事な視点だと思います。

 交流といっても、中身のない付き合いは、交流とは言えません。文学者は文学の交流を、また技術者は技術の交流といった具合に、専門的な分野を持つ研究者同士の交流を図っていく必要があります。池田会長と周恩来首相もそうです。二人は、両国間の友好のために大変重要な"思想"における交流を図りました。中国ではその思想を「周池思想」と呼び、今も残っています。ただ二人が友達というだけでは、何も残らなかったでしょう。思想という分野において深く交流を行ったからこそ、今この時まで受け継がれてきたのです。若い人たちはこれから文系・理系などさまざまな分野に進むと思いますが、両国のやり取りを大事にしてほしいものです。

伊佐 つい最近、高校生同士の交流プロジェクトを始めました。科学技術をテーマにしたもので、中国の高校生が来日し、科学技術に関する企業や研究室を訪れるといった内容です。帰国した学生からは、日本に対する理解がとても深まったという声が届いています。テーマをしっかりと定めた質の高い交流を政治の面から後押しをするなど、日中友好のために尽力していきたいと思います。

 

胡金定氏(こ・きんてい)
1956年、中国福建省生まれ。中国厦門大学外文学院卒業。85年、日本に留学し、大阪外国語大学卒業後、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。甲南大学教授、中外新聞社記者。著書に『郁達夫研究』(東方書院)、『アクティブ中国』(共著、朝日出版社)、中国語教科書など多数。現在、本誌に連載「中国と日本のあいだで」を執筆中。