いさ走る(主張・メディア掲載)

2013.10.30 教育と民主主義

国の力の源泉が「人材」にあるとするなら、「教育」ほど大事な事業もないでしょう。教育改革の方向性について、元中央教育審議会副会長の梶田叡一先生に、お話を伺いました。

現行の教育制度は、長い長い議論の積み重ねの末にできた制度です。それはつまり、教育は政治から距離を置き、中立性をたもった「教育委員会」で、教育の内容を決めていく、というものです。しかし現在の教育改革では、この現状を改め、選挙で選ばれた首長(市町村長)が教育の在り方を決めるべきだ、との議論が盛んに行われています。大津市のいじめ事件はじめ、「教育委員会」が形骸化しているから、「委員会」そのものをやめるべきだとの議論です。でも、本当にそうなんでしょうか。

問題がおこったときにまずすべきことは、「人」や「運用」に問題がなかったかを探るべきです。あるいは、現行制度をどのように改善すべきかを考えるべきではないでしょうか。いきなり一足飛びに、これまでの制度を放棄して、まったく新しい制度を導入する、つまり首長が教育内容を決めていくという改革の方向性は、一般受けはするかもしれません。しかし私は、それには賛成できません。

「俺たち首長は、選挙で選ばれて民意を背負っているんだから、何をやっても許される。」これは、とんでもない暴論です。首長が民意を背負っていることは、確かに大事だし、また民意によって政権交代がおこることも、大事な民主主義のルールです。でも、民主主義に必須な要素は、チェック機能がきちんと働いているかどうかです。そして、民意の選択が公正に行われるような、情報の透明性があるかどうかです。「何をやっても許される」はずがありません。

民主主義における選挙では、50.1%の票をとれば、勝ちなんです。だからといって、勝者が49.9%の民意を全て無視していいと考えることは、権力者の驕り(おごり)です。それが許される分野もあるかもしれませんが、少なくとも教育は違います。選挙ごとに教育内容が変更され、子供たちはそのたびに、教科書を墨で塗りつぶしていくんでしょうか。「教育内容も、民意で選べばよいのだ。イヤなら4年後の選挙で落とせばいいんだから。」というかも知れません。しかし、少年少女時代、青年時代の4年間という時間が、その子の人生にどれほど大きな影響を及ぼすのか、4年後に変えても、それでは遅いんです。

教育にとって大事なことは、二つしか無いと思います。「先生が活き活きと生徒を教えているか」と、「子供たちが活き活きと学んでいるか」です。そしてそのための条件整備が、政治の最も重要な仕事です。選挙でトップが変わるたびに、教育の中身を変えることが、子供たちの幸福につながるとは思えません。それよりは、教育の中立性を維持しながら、教育委員会がしっかりと機能する体制をどう作っていくか、これが大事なんではないでしょうか。

お話をお伺いし、大変勉強になりました。戦後の日本の発展は、まさしく「人材」にあったと思います。この大事な「人づくり」を誤つことなく、しっかりと議論をしていきたいと思います。