いさ走る(主張・メディア掲載)

2013.12.07 「特定秘密保護法案」の審議に思う ④

4.日本の「民主主義は破壊」されたのか

日本の「民主主義の破壊だ!」とおっしゃる方々もおられます。「少数意見を踏みにじる暴挙だ!」、あるいは「強行採決だ!」との意見に対して、昨日(12月6日)の読売新聞には、非常に鋭い論説が掲載されています。

民主主義における意思決定、法律制定は、まず政府が法案を提出するところから始まります。それを国会において議論をして、最後は可決、否決を多数決で決めるわけです。衆参両院の「過半数」の賛成で成立することは、日本国憲法第56条、59条に定められています。

しかし一方、少数意見の尊重も、民主主義の条件です。絶対多数を得ている自公政権は、「過半数」を越えているので、本来なら政府案のまま、成立させることもできました。各党との修正協議に応じることなく、多数をもって政府案を成立させることもできました。ところが、丁寧な国会運営を図るために、あえてみんなの党、維新の会などの協議に応じて、野党の納得も得ながら、法案審議を進めることを、重視してきました。実際に、多くの修正が取り入れられ、ぎりぎりまで各党とも協議をかさねてきました。

民主党のいう「民主主義の破壊」と言うのは、何を指しているのでしょうか。「少数意見を尊重する」だけでは不十分で、「少数意見の言うとおりにせよ」、と言うことなんでしょうか。

非常に残念だったのは、一部野党が最後は、時間稼ぎ戦略をとったことです。つまり、審議途中のまま12月6日の会期が終われば、廃案にすることができます。そこで、ついには、民主党議員は国会審議に出てこなくなりました。民主党以外の各党が、何度呼びかけても出てこない。自分たちが提案者であった、中国の「防空識別圏」に抗議する国会決議にすら出てこない。挙句の果てに、安倍内閣を解散させるべきという、内閣不信任決議案を提出しました。

なぜ内閣不信任を提出したかの理由について民主党の海江田代表は、「国会でしっかりと審議時間が確保されない」から、あるいは「強行採決」したから、というものでした。しかしこれは、実は「内閣」とは関係がありません。「国会運営上」の問題、与野党間の問題なんです。それを行政府である「内閣」のせいにすることに、違和感を覚えている野党議員も多くいました。

結局、不信任決議案は否決されました。これまで、不信任決議は国会定数の5分の1、すなわち96名以上の支持があれば、「記名投票」となります。つまり、誰が賛成して、誰が反対したかがはっきりと分かるよう、名前を書いて投票するのです。ところが、この不信任決議案には、96名以上の支持者が集まりませんでした。結果、賛成者が起立するという、簡単な「起立採決」となりました。野党が内閣不信任決議案を提出しておいて、「記名投票」にすらならず、「起立採決」となったのは、憲政史上初めての事だと言われています。それくらい、野党から見ても違和感を持たざるを得ない、「内閣不信任」だったと思います。

以上、法案の内容について長々と書き連ねましたが、私は今回のメディアの報道などを見ていて、思いが重なることがあります。それは、もう15年も前の「PKO法案」の審議であったり、また「通信傍受法」の審議でした。

PKO法案の最大の争点は、実力組織である自衛隊を、日本が戦後初めて海外に送る点にありました。当時、「ついに、日本も軍隊を海外に向けた」とか、「戦時中のいつか来た道に戻る」とか、様々な批判がありました。公明党もPKO法案に賛成し、「平和の党」を放棄するのかと、少なからず批判をうけてきました。

しかし、15年経ってどうでしょうか。自衛隊は、災害被災地や、紛争で荒廃した地域におもむいて、地域の平和と安定に貢献してきました。世界の多くの方々が、自衛隊の活躍に高い賞賛を送ってくれています。それまで、「日本はお金しか出さない。」「自分では一切、汗をかかない」と批判されてきました。このPKOをきっかけに、日本が目に見える形で、世界に貢献できるようになりました。信頼され、評価される国として、自衛隊の役割は大きかったと思います。

ご批判も多々あると思います。そのご批判やご懸念をすべて受け止めて、その一人一人の声から政治をつくっていく、それが公明党の強みです。そしてまた、決断をするからには、徹底して現場に入って説明責任を果たしていく、これも公明党の強みであると思います。皆さんが心配される決断、皆さんにご負担をお願いしなければいけない政治決断であるなら、なおさらのことです。

公明党の諸先輩方の政治に取り組む姿は、常に「権力という目に見えない魔性」に、国民の代表としていかに対峙していくかです。そしてその権力には、当然、メディアも含まれます。日本を不幸な戦争に導いていったのは、国家権力であったのと同時に、メディアであり、そのメディアによって作られた「空気」であったと思います。この思いを忘れずに、徹底して動き、語っていきたいと思います。