いさ走る(主張・メディア掲載)

2013.11.17 ドイツと、「脱原発」の歴史

脱原発に舵を切るべきか否か、これはドイツにおいては30年以上にわたって議論が積み重ねられてきました。1986年、チェルノブイリ原発事故を機に、反原発の運動がさかんになりました。そして当時のシュレダー政権(社会民主党(SPD)と「緑の党」の連立政権)は、新規の原子力発電所の建設を停止させ、19基あった稼働中の原発を順次停止していくという、脱原発路線を決定しました。

ところが2009年10月に発足したキリスト教民主・社会同盟(CDU/ CSU)を中心とする保守中道のメルケル政権は、脱原発路線を修正、政策を転換します。原発の新規建設は行わないものの、再生可能エネルギーが普及されるまでの間は、原発を維持するとして、原発の稼働期間を平均12年延長させました。つまり、すべての原発が稼働停止するのを2036年としたのです。

しかし、2011年3月、福島原発事故が発生しました。メルケル首相は、原発の稼働延長を棚上げし、旧い型式の原発7基を即時停止。一年半前の決断を再度見直す旨、発表しました。こうした動きは、3月後半に各地で予定されていた、州選挙を意識したものとの見方もあります。しかし結果的には、私が訪問したバーデン・ヴェルテンベルク州はじめ、メルケル政権は歴史的な敗北を喫します。保守の牙城であった同州も、原発反対を訴えてきた「緑の党」が大躍進し、史上初めての、「緑の党」の首相が誕生したのです。

その2か月後、メルケル政権は2022年までに脱原発を行う決定を下しました。今のエネルギー構成を見直し、2050年には「再生可能エネルギー」を全電力の80%とするという、「エネルギーシフト」への挑戦が始まったのです。

もちろん、各政党において、「脱原発」に対する温度差があることは否定できません。たとえば、最大与党である保守のCDUの幹部からは、このような発言がありました。「『脱原発は、(技術立国である)ドイツに出来なければ、他の国には出来るわけがない(だから、我々がやるんだ)』とよく言われてが、果たして、ドイツにそれを言う権利があるのか、自信がもてない。あくまで、『私たちには出来る』、という言い方はしないのである。他の国に比べたら、脱原発を目指す条件が、まだましなだけである。」ドイツ環境大臣は、「エネルギーシフト」について、「東西ドイツの統合以来の、最大の挑戦である」と述べています。

一方、原発反対を訴え続けてきた「緑の党」の幹部は、こう発言しました。「ヴィクトル・ユゴーの言葉に、『時機が到来したアイディアほど、強いものはない』とある。再生可能エネルギーは、これだ。」

国民の大多数は、この「エネルギーシフト」に期待しており、アンケート調査においても、一貫して国民の9割が、その重要性を認識しています。また電力会社も、実は、意外と覚悟ができている感じを受けました。「脱原発」という政府の決断を受け止めて、では原発から再生可能エネルギーへと「エネルギーシフト」していく上で、具体的な課題をどう解決していくのか。そこを、政府としっかりと議論をさせてもらう、こういう姿勢を強く感じました。

このように、ドイツが「脱原発」を決断するに到っては、国内の「政局」による影響が少なからずあったことは否定できません。しかし、いずれにしても、ドイツが今後、「脱原発」路線から、後戻りをする可能性は低いでしょう。大事なことは、彼らの目標達成をはばむ様々な課題に、具体的にどう取り組むかです。その一つが、第3回で紹介をした「固定価格買取制度」と電気料金の問題です。そして次回とりあげたいのは、フランスはじめ周辺国との電力融通、送電網の問題です。また、最終回では、再生可能エネルギーだからこそ避け得ない宿命である、「不安定性の克服」について、紹介したいと思います。