いさ走る(主張・メディア掲載)

2012.07.21 イノベーションは、青年の雇用を減らすか。

青年との懇談の折、いつも話題になるのは「雇用」についてです。賃金も安く元気もある青年の雇用が、なぜ最も厳しくなるのか。そして、それをどう解決するのか。

わたしは、科学技術に投資し、イノベーション(技術革新)によって、我々の生活を変えていきたい。いろんなところで、こう申し上げて参りました。しかし一方で、「楽園のパラドックス」という言葉があります。技術の発展による「生産性」の向上は、雇用の減少と失業率の上昇につながる、との懸念です。

これは、どういうことか。例えば、製造ロボットが発展することによって、工場であくせく働く必要がなくなります。また例えば、農業分野の技術発展によって、少しの労働で多くの果実が得られるようになります。ヒトが汗水をたらして働かなくとも、たくさんモノがあふれるという、「楽園」のような社会。しかしそれは同時に、ヒトの働く場所が減り、多くの人が失業する「地獄」のような社会も意味しているのです。これが、「楽園のパラドックス」です。

戦後の長い間、日本は「生産不足、モノ不足」によって、多くの人が貧困に苦しみました。現在、日本で起こっていることは、「生産過剰、モノ過剰」によって失業が生じ、貧困に苦しんでいるという状況なんです。

現在、この「生産過剰」の状況、つまり需給ギャップは15兆円と言われています。企業の労働力と設備をフル稼働させた場合の供給能力が、実際に必要とされている需要よりも15兆円多いのです。こうした状況では、設備生産の稼働率が下がり、失業率が上昇します。少ない仕事を求めて、いわゆる働く者たちの「椅子取りゲーム」が行われます。当然ながら、定年などによる退出者が出ない限りは、「椅子」の「あき」は生じません。そうすると、新参者はゲームに参加するために、長い列を作って待つことになります。これが、雇用において青年にしわ寄せが集中する大きな理由の一つだと思います。

これを解決するためには、これまでの概念を大きく変えることが必要です。それは、「生産性」についての概念です。これまで、科学技術や経済が追い求めてきた「生産性」の概念とは、少ない労働でも多くを生産できるという「労働の生産性」でした。「労働の生産性」の向上をいくら進めたとしても、雇用は拡大されません。これを変えていくべきなんです。

我々がこれから目指すべき「生産性」とは、限られた資源を有効に活用する、あるいは環境への影響が少ないという「資源の生産性」だと思います。イノベーション(技術革新)を通じて目指すべきは、「資源の生産性」の高い産業を生み出し、その新しい産業によって、若者の雇用を生み出していくべきなんです。

そして、もう一つ重要なことは、これまで「労働の生産性」が低いと言われてきた「労働集約的」な分野、つまり「福祉」や「教育」といった分野で、もっと多くの人が働ける環境を作っていくことです。少子高齢化社会の中で、「福祉」や「介護」の分野では、更に多くの人材が必要となってくるでしょう。こうした分野の仕事において、賃金や就労時間を含めた労働環境を改善していくことができれば、「椅子取りゲーム」の「椅子」は増えていくでしょう。

「椅子」を増やしたり、「椅子」の配置を変えたり。こうした「雇用構造の調整」を可能とするのは、労働政策でもあり、またイノベーション(技術革新)政策でもあります。私は、こうした方向を目指しながら、青年の雇用を取り巻く環境を改善していきたいと思います。