東海道は、何次あるかご存知ですか?広重の53次があまりにも有名で、ほとんどの人が江戸から京都までの「東海道53次」と思っています。しかし、実際は「大坂」までの57次なんです!
宿場町では「人馬継立」といって、馬を乗り換え、人足を交代させる決まりがありました。宿駅はそのための中継地点でしたが、その「継(つぎ)」を「次」として売り出したのが広重だとのこと。当時、江戸っ子には京都への憧れがあり、絵を売るためには京都までで充分で、結局、京都までの「53次」しか絵を描かなかったそうです。しかし実際の街道では、大名行列や幕府役人、町人も含めて、「大坂」までの「57次」を旅していました。
京都から「伏見宿」「淀宿」「枚方宿」、そして「守口宿」を経由して京橋、大阪城に到る京街道。この57次を通じて、町おこしを始め、その歴史をとどめようと頑張っておられる方々がいます。私の地元では、「守口門真歴史街道推進協議会」といって、わたしも顧問を務めさせていただいております。
来年は、「守口宿」が開かれてから400年。節目の年に向けた発会式に参加しました。人、モノや情報が行きかった古の街道に、皆で思いをはせました。