いさ走る(主張・メディア掲載)

2013.07.28 日本とトルコの友情

トルコは、世界で最も親日国と言われています。

日本とトルコの友好の歴史の淵源は、1890年にさかのぼります。和歌山県の紀伊大島沖で座礁したオスマントルコのエルトゥールル号を地元の住民たちが救助。非常食まで提供して、生存者を介抱したと言われています。その後、政府の援助だけでなく、日本全国からお見舞い金が集まり、治療、看護の末、最後は「2隻」の軍艦でイスタンブールまで送り届けたのです。

そのエルトゥールル号遭難事故から100年後。1980年に始まったイラン・イラク戦争。イラクの時のフセイン大統領は、48時間後を境に、イラン上空を飛ぶ飛行機は無差別で攻撃すると宣言します。世界中がパニックに陥り、各国は飛行機を派遣して、イランからの脱出作戦を行います。ところが、邦人保護のための飛行機を、日本政府は出すことができませんでした。仕方なく、残された日本人は、現地である国の航空便のチケットを買うわけですが、結局その国は、自国民の脱出を優先させて日本人を載せませんでした。

窮地に陥った邦人たちを、その時に救ったのはトルコでした。トルコ政府は、トルコ人のために用意した飛行機を「2機」、日本に差し出して、邦人を乗せてくれました。多くの日本人が、タイムリミットぎりぎりの48時間で、イランを脱出することができました。そして、飛行機に乗れずにイラン国内に残されたトルコ人は、陸路での脱出を図り、トルコに向かったのです。トルコはなぜ、自国民よりも日本人の脱出を優先させたのか。トルコ政府は、こう表現したそうです。「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」

1999年に、トルコ北西部は大地震に見舞われました。その際、日本は真っ先に、政府、民間が力をあわせて救援物資の輸送、レスキューチームや医療チームの派遣を行いました。そして、どの国よりも長く滞在して、仮設住宅の建設や復旧、復興にあたりました。支援物資を積んだ海上自衛隊輸送艦「おおすみ」の艦長は、こう訓示したそうです。「われわれは、イラン・イラク戦争の際に、危険を顧みずに邦人を助けてくれたトルコの友情に、今こそこたえなければならない。」

友好の歴史が始まれば、更に次の友好の歴史を積みあげていくことができます。この友好の連鎖をどうつくっていくか。今後のアジア外交を考えるうえで、トルコとの友好外交の歴史は、重要な示唆を与えてくれると思います。