いさ走る(主張・メディア掲載)

2015.07.15 安保法制シリーズ⑤ 「基準があいまい?」

今回の法案によって、日本が「武力を行使できる基準が、あいまいになっているんじゃないか。」と心配される方もいらっしゃいます。「基準があいまいだから、時の政府が勝手に解釈して、戦争を始めることができるんじゃないか」。こういう不安です。果たして、武力行使が許される、今回の「新三要件」。これは、「あいまい」なものなんでしょうか。

今回の法案でも、認められるのは、「わが国を守る」ための武力行使だけです。そこは、変わりません。「集団的自衛権」といっても、「我が国を守る」という「専守防衛」でしか使えないことになっています。その要件を定めたのが、「新三要件」と言われるものです。

新三要件とは、この三つです。

第一要件(日本、あるいは日本と関係の深い国への攻撃によって)「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」

第二要件「我が国の存立を全うし、国民を守るために(武力の行使以外に)他に適当な手段がないこと」

第三要件(武力の行使をするのであれば)「必要最小限度」でなきゃいけない。

この三つがそろって、初めて武力攻撃できます。もちろん、三つとも満たさないと、武力行使ができません。

でも、見方によれば、この要件だけでは「あいまい」と言われるかもしれません。つまり、どういう場合が、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と言えるのか、と。

そこで、国会の答弁を通じて、さらに具体的に、総理から言ってもらっています。それはどういう場合かいえば、もし日本が何もしなければ、「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」。これこそが、「明白な危険だ」と言える状況です。

でもさらに、人によっては、まだまだ「あいまい」だと言うかも知れません。どういう場合を想定して、「武力攻撃を受けた場合」と同じくらいの「深刻、重大な被害」となるのか。どういう点をもって、判断するのか、と。

そこで、この点についてもさらに掘り下げて、総理が何度も国会答弁で述べています。それは以下の通りです。

「攻撃国の意思、能力、そして事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから判断」します。

つまり、「攻撃国の意思」、(攻撃をする)「能力」、「規模」、「事態の移り変わり」などなど、それぞれの点について、具体的に政府は示す必要があります。そのうえで、このまま放っておけば、我が国が攻撃されるぐらい大変になるかどうかを、時の政府が示す義務を課しているのです。

ところが、さらにそれでも、「いやいや、まだあいまいだ!」と言う人もいるかもしれません。じゃあ、それぞれの点が具体的にどうなったら、攻撃されているのと同じくらい大変なのか、すべて示せ。こういう方々もいらっしゃるかもしれません。

しかし、ここまでいくと、千差万別の事態があるなかで、これ以上具体的に示すのは、難しくなってきます。これ以上どんなに説明しても、どんだけ細かく条件設定しても、結局「まだまだ、まだまだ」となるような気もします。それをもって、「政府の基準は、あいまいだ」と言う人がいるのも事実です。

おそらく、一番わかりやすいのは、具体的な事例を並べることでしょう。こういう場合なら、「新三要件」を満たします、こういう場合なら限定的な「集団的自衛権」を使えますと、すべてを事例で示すことかもしれません。しかしこれは、すぐおわかりのように、千差万別の具体的な事態を、すべて網羅的に挙げることなど、出来るはずもありません。

とはいっても、何らかの事例を示さないことには、皆さんにイメージをしてもらえない。そういう思いから、今回の国会審議でも、具体的にイメージできる「典型的な事例」をあげました。こういう場合なら、「新三要件」に合致し、限定的な「集団的自衛権」と使うことができるという「典型的な事例」です。

それは、たとえば、北朝鮮が暴れだして、お隣の韓国や、あるいは韓国の同盟国である米国と交戦状態に入った。ドンパチ撃ち合っている状況です。そして、我が国に対しては、朝鮮国営放送か何かで、ニュースキャスターが「東京もミサイルを撃ち込んで火の海にしよう」と叫んでいる場合。こうなると、日本に(発射から10分以内で到達する)ミサイル攻撃を食い止めるため、米国と日本のイージス艦が一緒になって、共同で監視体制にはいります。その最中、監視体制に入っている米国艦艇を、北朝鮮が攻撃を開始した。こういう場合には、日本へのミサイル攻撃を共同して守ってくれている米艦船を、日本も助けることができるようにしよう。これが。典型的な「集団的自衛権」を行使する事例です。

これもあくまで、「典型例」であって、あくまで一例です。すべてを網羅することはできません。たとえ、すべての例を網羅的に挙げきろうとしても、それは逆に、敵に「手の内」を見せることになってしまいます。だから、出来ることは、できるだけ細かく、政府が判断する過程を示させていく。それが「民主的プロセス」であり、「歯止め」になります。

繰り返しますが、大事なことは、すべての事例を網羅的に明らかにすることではありません。千差万別、何が起こるかわからない事態に対して、いざ事が起こった時には、武力行使が必要だと考える理由、判断要素を、政府がはっきりと国民に示す。そのうえで、国会審議で決めていく。こういう、透明化、「歯止め」のプロセスをいかに作っていくか、こちらの方こそ大事だと思います。そして、これこそ、公明党がこだわった点です。判断要素をふくめ、国会に示すべき事項も、当初は非常に限られたものだったんです。それを大幅に拡大し、「歯止め」をより厚くしたのは、公明党の主張があったからだと、はっきりと申し上げたいと思います。

さらに言えば、これまでも認められていた「個別的自衛権」とは違うじゃないか、という方もおられます。つまり、「攻撃されたら、それを排除する」という「個別的自衛権」の世界では、「我が国が攻撃される」というはっきりした「引き金」があった。しかし、「集団的自衛権」の世界にはいると、いくら判断要素を並べても、結局は「判断」じゃないか、というご心配です。

しかしこれも、実は正しくありません。これまでの「個別的自衛権」であっても、そんなに事は簡単ではなかったんです。「攻撃された」という「引き金」だって、実は、複雑な「判断」が必要なところなんです。

たとえば、「着手」という概念があります。実際に、日本が攻撃されていなくても、日本を狙うと明言している国が、ミサイルを発射台にセットし、そこに燃料を注入し始めた。こういう場合は、その国が日本に対する攻撃に「着手」したと「判断」して、日本は「攻撃を受けた」として、「個別的自衛権」が使えることにしていました。「着手」を、「引き金」と「判断」して、日本は武力行使が可能としています。

さらには、たとえば中国の艦船が日本の自衛艦に関して、攻撃の際の照準をセットする、「レーダー照射」を行った事例がありました。「レーダー照射」でロックオンされれば、いつミサイルが飛んできてもおかしくありません。「レーダー照射」を我が国への「攻撃」と「判断」する見方もあったかもしれません。しかし、この時我が国は、「引き金」とは「判断」しませんでした。これも、「判断」が介在しているんです。

他にもあります。「集団的自衛権」の無い日本は、米国が攻撃されても、米国を助けることはできません。しかし、沖縄などにある在日米軍が攻撃された場合はどうするか。以前と違い、現在では、在日米軍への攻撃なら、それは「集団的自衛権」じゃなくって、日本への攻撃と「判断」し、「個別的自衛権」で反撃可能としています。つまり、在日米軍への攻撃は、「引き金」になると、これまでだって「判断」しているんです。

長々と書きましたが、結局、これまで認められている「個別的自衛権」でさえ、実は、相当に「判断」が入るものなんです。何も、今回の限定的な「集団的自衛権」の行使に限ったものではありません。多くの場合、武力の行使には、政府の「判断」が入ることは避け得ません。

武力の行使に、政府の「判断」が入ることが「あいまい」なのではありません。どんな事態に対しても、「判断」するのは、時の政府です。しかし、その「判断」の「手続き」がはっきりしないことがあれば、それこそが「あいまい」として、追求しなければいけないところです。

今回の法制度では、公明党がそこに、一番こだわりました。政府の「判断」の要素、過程を透明化し、国民が、そして国会が関与できる制度をいかに創っていくか。これが大切なことであり、公明党がこだわって実現させた点です。この点を、しっかり訴えていきたいと思います。