いさ走る(主張・メディア掲載)

2012.03.21 防災対策のあり方について、関西大学の河田恵昭教授と意見交換しました

先日、私は「防災対策のあり方」について、関西大学の河田恵昭教授と意見交換をさせていただきました。

河田教授は復興構想会議の委員も務められた方で、大変に勉強させていただきました。
実は以前に、河田教授の奥様とお話させていただいた際、
「主人は、他の国で大きな災害が起これば、すぐに発災直後の危険な現地に飛んで行きます」とのこと。
現場を知っておられる方は、さすが説得力が違いました。

「防災対策は『最悪シナリオ』を想定して防災対策を講ずる必要がある」といわれます。
しかし、この『最悪シナリオ』とは何なのか。
そもそも『最悪シナリオ』を想定した場合、日本の財政的にそのコストを抱えきれるのか。
これが私の質問でした。

お答えいただいた河田教授の言葉は、まさに「目からうろこ」でした。
例に挙げられたのはオランダ。
国土の3分の1が「海面より陸が低い」状態のオランダでは、『1万年に1度の高潮』を想定して、堤防を構築しています。
対して日本では、『200年に1度の高潮』を想定した災害対策すら、なかなか認められないのです。
このオランダの「『1万年に1度』の高潮を防ぐ堤防」の構築には、当然ながら、莫大な労力とコストがかかります。それでも数百年かけて構築したのです。
こうした長い時間軸での構築により、コスト面でも分散させることができました。

重要なのは、防災対策は「完成しなければ意味がない」ということはないということ。
構築途中で災害が発生しても、減災の効果があるのです。

堤防が完全な形で完成していない状態でも、街に流入する水を抑えることができます。
これだけで大きな意味があるのです。

だから、民主党の某議員が「事業仕分け」において発言した、
「200年に1度おこる災害想定のために、工事に400年かけるのは意味がない」というのは正しくないのです。

さらにもう一点、「防災とは完成というものがない」ということです。

防災において重要なのは、常に誰かが防災の事を考えているということ。
そう考えれば、長期にわたって少しずつでも堤防を構築するという防災計画は大きな意味をもつのではないでしょうか。

もちろん、新しいハコモノをどんどん作ろうということではありません。
利用できるものは最大限利用する。
たとえば、海沿いにある高速道路へ、地上から登れる階段・通路と待機場所を作るだけで、津波の発生時には避難場所とすることができます。
こうした「工夫をしつづけること」が大切なのです。

河田教授、大変勉強になりました!ありがとうございました。