いさ走る(主張・メディア掲載)

2015.09.09 70年後の「硫黄島」に

東京から南へ1200キロ、太平洋戦争で最も熾烈な戦いが繰り広げられた「硫黄島」。戦後70年の節目の本年、衆議院厚労委員会として、現地を視察。戦地に亡くなられた方々の「遺骨収集作業」のため、法律案起草を目指しています。

悪天候の中、自衛隊のC130H輸送機で現地に着陸すると、熱帯特有の空気に包まれます。70年前、この地の生い茂る森の中に手掘りで穴を掘り、壕の中に身を潜めて戦い続けました。最後は、水も食料も銃弾も尽き果て、みなで突撃、玉砕の道を選びました。

「硫黄島」という名前だけあって、島全体が火山の火口のようなもので、そこかしこから硫黄が噴き出ています。灼熱の数々の壕の中でも、「医療壕」の中の熱気はすさまじく、熱と蒸気で、一瞬で体中から汗が吹き出しました。こういうところで、何十人もの傷ついた兵士が横たわり、飲み水が全くない中で、何か月もひたすら戦い続けたそうです。

視察に参加した全員で献花を行い、お祈りを済ませて、現地を後にしました。涙が止まりませんでした。